2020東京 

    カテゴリ:町工場女的日記

    あまのじゃくな性格なので
    世間が「オリンピック!」と騒げば騒ぐほど無関心だったんですけども
    そーですか、決まりましたか、東京五輪2020。

    スポーツ観戦というとプロ野球より高校野球が好きなんです。
    Jリーグよりワールドカップなんです。
    まりコはスポーツオンチなので競技そのもののすごさはちんぷんかんぷんだもんで、
    絶対とれないとわかっていてもボールを追っかける、
    あーゆー高校球児のガッツに心打たれます。
    そーゆー意味では、あまりにもいまどきのオリンピックは科学的な要素がはいりすぎてしまって
    クツの軽さとか水着の抵抗の少なさとか高地でのトレーニング技術とか
    支援する側のリクツが前面に出過ぎちゃって理系のまりコはちっとも「見たい」と思えない。
    競技に高校球児のようなひたむきさが感じられない。
    で、おもうにその背景にはアトランタあたりからこっち意図的になった商用主義があって
    それはそれで政治利用色を薄めたという業績はあるのだけれど
    ちょっとまえからの日本の地上局と似ている部分があって
    オリンピックにとってのお客が、観客や選手ではなくスポンサーになってしまった。
    (その点、コミケのすごいところは、準備会がまったく前面にでてこずスポンサーもいなくて
    あくまでも主役はサークルおよび一般参加者だというところだとおもうんですけども。)

    んー、あたしがオトナになってしまっただけなのかな。
    『会社員』などとゆーお金と理念のはざまの日々を送る身分としては
    おなじよーなニオイのするイベントが日本で行われるからって
    うさんくさすぎて素直によろこべない。
    64年大会のとき、首都高や新幹線を完成させたように、
    イデオロギーの象徴という側面のほうが、
    「国民に夢をあたえる」いう点ではより現実的だとおもう。
    成田遠すぎ。首都高事故多すぎ。東京の夏暑すぎ。
    むしろそういうほうに期待する。
    スポーツ選手が汗水垂らす姿だけみても、
    だれもお腹は膨らまないもんね。
    だいたいさいきん軽々しく使われすぎだよ
    「感動」
    っていうコトバ。
    そんなにわしら、日常感動に飢えてるのか?

    さいきん、
    「いまの生活では地球一個じゃ足りません。身の丈にあったせいかつしようよ」
    とJC協賛の広告が打たれてるのを見かけて
    それはそれで一理あるとは思うけど、
    だからこそ宇宙にでていこうというのは、ただのSFヲタクな妄想ではないとおもうんです。
    多摩丘陵を切り開いて、失ったものもたくさんあったけれど
    かわりにこんなに世の中べんりになって
    シロウトでも音楽や動画を発表したり、
    子供でも容易にスポーツ用具を手に入れられるよーになった。
    電車は定刻にやってくるし、嵐がきても停電はおきない。
    冷蔵庫がカラの日に終電で帰るハメになっても
    コンビニに行けば食べ物が手に入る。

    せっかくきまった東京オリンピックは
    そーゆー方向にいかしたいなあとか、
    2020年のわしとダーリンのトシを考えながらおもった今日でございます。



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    先日のコミケで買った猫のピアス。ダイとチビ似。
    ほんぶんとは関係ありません。

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