新聞社と中間管理職の類似点に関する一考察 | まろん工房

    新聞社と中間管理職の類似点に関する一考察

    某新聞の誤報さわぎについてちょっとエラそうな話で恐縮ですけども。


    「侮辱」と「批評」の線引きって、常々むずかしいなっておもう。
    そういうとカタイけど、職場で、「○○さんまたこういうことするんだよ」的な話題は普遍的にあってそのときに、
    「だからこうみんなでフォローしよう」
    とか
    「彼に伝えて事実とむきあってもらおう」
    くらいのアクションが続いているのが『批評』で、
    「このあいだもこうでしたよ」
    「ほんと?だらしないよねえ~」
    で終わるのが『侮辱』だと、私はおもう。
    すくなくとも私は、会社で他人のことを言うときはこの違いを意識するようにしてる。

    体罰とかセクハラパワハラは「加害者」と呼ばれるほうに自覚がない場合が多いのとおなじで、人を嗤ったり侮辱したりも、無自覚にやってしまっていそうで実はいまでもわりと恐い。
    ざんねんだけれど、「ひと」の失敗にしたり顔でエラそうなことを言っていた記憶は、小学生あたりからたぐれば枚挙にいとまがない。

    じっさい他人がやったことに「それダメでしょ」って思うのはとても簡単だ。
    簡単だけれど、そう思うことは「自分は悪くない」という安心感には浸れても、その事象自体はひとつも解決されないのでまったく建設的でないし、そもそも中間管理職が仕事でそれをやっては無責任なだけなので、そういう場合は、思うだけで口に出さないようにしている。
    この感覚は、マネージメントを生業にしていない人には共感されにくい。
    いわんや女同士だとなおさらだ。
    かといって「あたし噂話なんてしないわ」オーラは同世代には理解されてもひとまわりふたまわり若い人にはただの「恐い人」に映るらしくそれはそれで仕事に支障がでるので、自分にウソをつかないていどに「あわせる」のも仕事のうちだとおもっている。
    (だからプライベートではますますおべっかを使わなくなるといういいわけでもある)

    某紙が従軍慰安婦に関する誤認謝罪について一旦掲載を見合わせた池上彰氏の記事
    「過ちは過ちと潔く認め」
    はとても建設的なものだと感じる。
    製造業でもそうだけれど、不具合をだしたときいちばんやってはいけないのは「自分よりあっちが悪い」という目線にたつことだとおもっている。まずは事実をうけれなければなにもはじまらない。
    新聞は、人のやっていることに口を出すのが仕事であり、かたやメーカーの中間管理職は社内で他人がやっていることにも口を出すのが仕事。
    実は似ていないでもない。
    自分が間違えたときには素直に「間違えました」と言える度量と実績があればこそ、指摘側の意見をさらにブラッシュアップし、全体最適化に必要な解をいっしょにさがしていける、そういう関係が築けると言うことなのだろう。
    同紙にたいしてエラそうにいろいろ思うことはあるけれど、ここはひとつ大人になって、侮辱ではなく冷静に批評したい。

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